なぜ『彼ら』が気になるのか。
いろんな方のはてブロやらツイートやらを見ているうちに、私ってなんでこんなに「ゆとやま」が気になるんだろう・好きなんだろうかと思いはじめまして、ちょっと形にしてみようと思い今に至ります。
そもそも「ゆとやま」が気になったのはいつからなのか、これを紐解いていきたいと思います。
はじまりは自担との出会い~嗚呼、中島裕翔~
どう考えても自担である中島裕翔君に出会ったのがきっかけです。
去年のきたえーる公演に友人の誘いを受け入り、それまでJUMPを追っかけるつもりは毛頭なかった(今思えばバカ野郎)私が、いつのまにか裕翔君を目で追うようになり。その日からはJUMPのDVDやらCDやらを買い集め、その中でドラマや動画を見て(去年、最終的には遠征して年末年始コンに行くわけですが)。それまで二次元ヲタかつ声優ヲタだった私が、すっぱり足を洗ってJUMPを追っかけました(今でも好きな声優さんのCDは買いますが、すっかりグッズ収集癖はなくなりました。その代わり今は生写真集めたい熱がひどいです)。
そこでやっと彼ら(ゆとやま)に氷河期・雪解け期というものがあったことを知るのです。すべて事後だった。
JUMPの存在はデビュー当時から知っていましたが、今のように追っかけ始めたのは去年から(ド新規です。おかげさまで先人が多い。ありがたいことです)。そんな環境の中で「中島裕翔」という人をいろんなところで調べて、いろんな形になったものを読んで、ざっとでも目を通すように心がけました。
そうした中で、裕翔君は、輝かしいJr.時代と今との対比に触れられることが多いことに気づきました(別にそれ自体が嫌なわけではないんですが、今を生きているアイドルに、「昔のほうが…」ということで何が生まれるのか、今でもうまく飲み込めません)。もちろんこれからの成長を見越して苦言を呈すものもあったのですが、そうとは受け取れなかったものもあったと記憶しています。
とにもかくにも、そこでゆとやまに出会うわけですね。このときはまだ好きとか気になるとか、そういう執着はなかったように思います。もっぱらJUMPがくっついてわちゃわちゃやっている様を見るのがとっても大好きでした。
まぁそうは言いつつもゆとやま氷河期時代のエピソードを読み、裕翔担山田担の中では有名すぎるであろう7が全員20歳になって迎える「7会」(雪解け)エピソードも読み。気づけばこのあたりから、ゆとやまが並んで写るいろんなもの(雑誌やらTVやら)がどうも気になり始めました。
元々コンビが好きなわけではないのに…
なぜこの二人の並びがこんなに気になるんだろう?顔がいいから?結局は顔なの?なんて本気で悩んでいたころ、そもそも自分はコンビが好きなわけじゃないなぁと思い出します。
ジャニーズ歴としては初めて買ったCDが修二と彰の青春アミーゴだったり、初めてのコンサートは嵐という程度の私ですが、昔からその特定の範囲内の誰か一人に傾倒する癖がありました。
修二の彰の彰しかり、嵐の潤君しかり。ごくせんでも断然風間派でした(せめてそこは大和じゃないんかい)。
最初は裕翔君が写ってるからこんなに気になるんだと思ったんですが、なかなかどうして、ゆとやま以外のコンビとゆとやまとでは気になり具合が違うんですよ。
二人の関係性が気になるのではないか
私はきっと、「氷河期から雪解けを迎えた彼らが、どうなるのか」が気になって気になって仕方ないから、こんなに執着しているんじゃないか、と思っています。
もし自分が裕翔君の立場になったらこんなこと思うんじゃないかなぁ、という妄想が以下です。
- それまで異常なくらい注目を得ていて仕事も尋常じゃないくらいこなしていた当時14,15そこらの男の子が、デビュー後にセンターの位置を取られて、腐らないわけがない(私だったら辞めてるかもと思うくらい)。
- センターの位置を取った子だって、それまで仲良くしていた子相手にもぎ取ったその席にいることを素直にうれしいといえないはず。
- 思春期真っただ中、お互いにぶつかって喧嘩したんじゃなく、いわゆる「大人の事情」でちぐはぐになって、今更昔のようには話せなくなった自分にも、相手にもいらいらする。
- お互いに、センターを取ったこと取られたことについて、うまく言えなかった・感情を吐き出せなかった(んじゃないかという想像)。
ざっとこんな感情や思いがあったんじゃないかなぁ…と。
ここに書いたことって、自分しかいないところで声に出すことはできても、自分じゃない人に言うことははばかられる内容じゃないかな、と思うんです。自分が良くも悪くも様々な形でいろんな人の注目を集める「芸能人」であればなおさら。思ったことをそのまま言っただけなのに、あることないこと書かれる「芸能人」だから言えない。
私的には、『自分〔本人〕が声に出して言うこと』の大事さ・怖さを、裕翔君はよくわかっている、というか、気を付けている、と思ってます。何の皮肉もなく紡いだ言葉も、いろんな受け取り方をして書いた記事のうち、興味関心を引くキャッチーなものが目立って世間に広がっていく(もちろんそうでないものも広がっているけれど、大多数にいきわたるものってやはりゴシップ系のもの)。
とくに「自分が」「本人が」というところを強調したいんですが、どこのだれが持ってきたかわからない情報より、テレビや記事で本人が語ったことってすんっごい信ぴょう性がありますよね。記事であればライターさんがまとめているので多少の齟齬があるのかなぁと思うのですが、それでもやっぱり本人の話として雑誌に載る以上、それはその人本人の「声」です。後から「実はあれは○○だった」という修正・フォローがあったとしても、その時しか見てない人には何の意味も持ちません。
JUMPaperを読んでても思うのですが、裕翔君は本当に言葉を大事にするなぁと思います。
たくさんの言葉を並べるんじゃなくて、自分が伝えたいことを、過不足なく、飾りすぎず、ありのままに言葉にする。いうのは簡単ですが、やってみるとかなり難しいことだと思います。
こういうところもひっくるめて裕翔君が好きなのです。
結局、今後の彼らが気になってしょうがない
言いたいことを忘れちゃわないように、とびとびで文章にしていますが、結論、私は「あんなに『仲が悪かった』と言っていた彼らが、雪解け期を経て、いったいどんな関係になっていくのか」が気になってしょうがないんです。
山ちゃんは気を許した人には雑になる…というと聞こえが悪いですが、一定のガードがなくなる人だと思うんですね。言葉遣い、距離感。雑誌のショットは彼らもお仕事なので普段の生活では考えられないくらいの近さを保ちますが、TVとかだとリアルな距離感を出している、と思うんですよね(たとえば歌番組ではだれだれとの並びだと普通に座っているけど、だれだれだと膝がくっつくくらい近い!とか。気のせいかもしれないけど)。
かたや裕翔君は、あんまりそういうの出さないタイプというか。相手によって距離感を変えることはしないというか。JUMPしかいない内輪では奇行子っぷりを発揮しますが、距離感はどんな場所であっても同じだと思います。
こんな二人が、喧嘩して、(お互いの認知した時期はさておき)仲直りして、これからどうなっちゃうのよ、と。気になります。尋常じゃなく気になります。
それを煽るように最近やたらゆとやまエピソードが供給されていて、いてもたってもいられません。私だってツアー行きたい。制作解放席メール待ってます。再来週かな?その前に和歌山公演があるからまた新たなゆとやまエピが増えるかどうかわくわくですけれども。
急ぎ足ではありましたが、今日ふわふわ考えていたこと書けたかな…。
彼らについては今後もいろんな形で整理したいなぁと思います。
乱文でなんだかうまく整理できていない感満載なのですが、今日はこの辺で。
余談
10000字については、山ちゃんの10000字まであっためたいなぁと思ってます。いろいろ噛みしめて読みたい。とりあえず、裕翔君の写りが尋常じゃなく良いからもう一冊買いたい。ミニ版買うべきだろうか。